合掌礼拝
山の新緑も目に眩しきこの頃ですが、先生に置かれましては如何お過ごしの事でしょうか。
今まだ、時に肌寒く感じる日も御座いますが、御息災にてお暮しの事と存じております。
〝禅道その道探し〟 達磨堂に足を入れる前に、達磨の文字を目にし、人は何を思うか、見る者が見ると、そこに一本の線が足らぬことに気付きます。 凡人が思うのはそこまででしょう。 私もその一人でした。これは「鏡」だったのですね。 誰であれ完成した人はいない事を教え、自分にも一本足らない事を悟らせ、学に励ます。 そして集うものが互いに足らない欠点を許し合う。足らない所から知足の目が出る。 先生の禅河答、
我れ此々に説破し得たり。
達磨大師にも足らない事もあり、この御堂の中では全ての者が平等であり、いわゆる、自己の欠点に気付き、改め修行する場である事を教える為の己を先ず一番に顧みるは指標だったのですね。 実に面白い、実に深い仕掛けですね。〝とんちの一休、平成に在り〟
先生はやはりスゴイです。 この書は実に素晴らしいです。 私も出所の後に書家に作らせても宜しいでしょうか。 人の世に一番大切な事を、あのような表現で示すとは、実にすごいです。
足らぬ事が足る事を教え、逆に足る事だけが優れているのではない、足らないからこそ、世の中に修行と言うものが存在する。〝己を修める心〟とは、己の足らない部分や顧みる処があって初めて、心に据える事の出来る決心で後、私は解釈致しますが、己に足らぬ処がある事に気付き、真剣に向き合うからこそ、他人の欠点や傷を許すことも出来、故に民を救う心ありなのですね。そこに平等意識が生まれ、修己治人の道が広がる。 即ち足らぬは足る事である。
宗教書、一冊二冊の本がこれだけで書けますよ。
人の欠点はよく目につくが、自己の欠点は気付きにくい。
此の書は実に色々な事を私に気付かせてくれます。(伊弉冉尊 いざなみのみこと )が(伊弉諾尊 いざなぎのみこと)の子である火の神、(火之迦具土神 ほのかぐつちのかみ)を生みましたが、伊弉冉尊 は陰部を火傷し病の床につき、その火傷が元で無くなったのは、御承知の通りですが、
大切なものを自ら作り出すには、何事も命を掛けて、事に当たらねばならず、志しを全うしようとする過程には、人間至る所青山ありと心得え、やはり、己れ対己れ、心と心、座禅の心境を常に持っておかないといけませんね。
私は先生には哲学をほかの者より多く学んでいると思っています。それを実践し、自分自身で創意工夫し社会生活に生かし、潤った暮らしを手にしました。そこから先の自律が悪かったのです。
その結果こそ今のこの姿です。
うどん屋の一軒二軒、何ぞかんぞ始めておけば固定した収益も確保できていたのですが、 覆水盆に返らず です。
社会に戻れば、今まで以上に立て直す自信も道も、決意もあるのですが、今は畳の目を数え反省するしかありません。
常に口座には一千万位の金を入れて置かないと、身動き取れませんね。 まともな通算にもならないですから、無益です。 今の時間は、第一審は正味で9ヵ月座って通算5ヵ月でした。
長ければ長くなる程、算入は多くなると聞いたのですが、おおよその半分ですので、 アホくさいです。
せいぜい、身から出た錆を磁石で拾い集めて、反省という熔鉱炉でと溶かして、打ち直しをします。そして強固な意志を作り上げるつもりです。
話変わりますが、以前、先生の供で出雲大社に大国主命に逢いに参りましたが、大国主命とは大黒天だったのですね。今まで知りませんでした。確かあの後からでした・・・色々なお金の話が次から次へと舞い込んだのは! やはり神在月に行って良かったのです。美術館を観覧したり、出雲そばを、御馳走になったり、素敵な思い出となっています。
松江城にも行きましたね。 仕事で残念ながら伊勢には御一緒できませんでしたが・・・
今私は、古事記や日本書紀、神の系図、神道、神典、日本の古に目を向けて、神の起源や名、経緯、等々を調べてます。
石材加工料の当所の職業訓練を受講したいのです。吹く風に身を委ね、抗わず、しかし獄であれ、得る物、得るべきものは、しっかりものにするつもりです。
先生、実践は達成の母であるとし、自己打開の道を邁進致します。
今、私は先生に色々な事を相談したいですし、お力をお借りしたいけど、私にとって先生は、困ったときだけの神ではありません。崇高な存在であればこそ、私は軽はずみなお願いが出来ないのです。この様にお手紙が書けるだけ幸せなのです。私の努力しかありません。
では、花冷えと申します通り、ここ最近寒さも御座居ます。呉々も御自愛があればされます様に、合掌。
この便りは、私の門下でありました。今、己に躓き、再犯を犯しました。
私の、教育の足らなさを、痛感致します。
犯罪更生者は、人間の愚かなる欲望に、負けていくものです。
私は、お百度参りのように、幾度も幾度も、許すのです。
そして、許さなければならない事に、私自身の教育の至らなさを、覚えます。
犯罪更生社に、心身一如精神を今更に指導しなければなりません。
月下人よ、心を至して道に向かい、深く三方に帰依し、天地の間に立たされし事を願う。
愚生 西山 俊一郞
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