拝啓 西山先生。
先日は震災見舞いを有難う御座いました。諸々の事情で今は独立無援となってしまいました私に、道士である先生のお心遣いに人の温もりをいただき、遠く東の善通寺の空を唯々合掌する次第です。
今までこういう災害は、他人にだけ起きる物だと思い込んでいましたが、そうではありませんでした。14日の前震ににこれはただ事ではないと驚いていたところに16日のまさかの本震。わたくしグルグル回るような縦揺れというものを今回初めて経験しました。
御存知のように警察署に消防署、そして刑務所という物は憎らしいほどに頑丈に作られております故、当所は築50年以上にもかかわらず、さしたる被害は有りませんでした。現在柔道場が避難所として被災者に使用されておるほどです。とはいえ以後非常事態で日常業務や作業は停止しました。
しかし当初の2~3日こそ非常食のカンパン等でしたが、それ以降は平常食に戻り、周辺住民の被災者の方々が生活に困窮を強いられておられる中(特に水)、我々は風呂にも入れてもらえ、人を殺めた身の上でありながら堀の中に安住させて頂いていることに申し訳なく心が痛みます。
人は極限状態では「水一杯がおいしい」と小さなことでも幸せを感じられても日常ではなかなか普通(当たり前)であることの幸せを感じるのは難しいものです。
また職務とはいえ、我々受刑者の安全や食事の確保の為に自身の事を差し置いて動いてくれた職員に感謝です。人は自分一人では生きていない、生きられない。こんな事でもない限り、愚かな私はそのことに気付くこともないままだったでしょう。
回数こそ減りましたものの、現在でもドンッという直下型特有の突き上げる様な余震が続いており、未だ予断を許しませんが一日も早く世間に日常が戻ることを願うばかりです。ちなみに当所は作業も6日より時間短縮にて再開し長い長いゴールデンウィークがやっと終わりました。
これから梅雨に入るというのに、周辺の民家の屋根にブルーシートが目立ちますが、これだけの世帯数となると瓦職人の数も足りないでしょう。被災者にはお気の毒なことです。ましてや身内を亡くされたり、家が全半壊された方々のこの受け入れがたい現実を静かに受容し、平常心を持続させることは並大抵ではありませんでしょうが、どうか立ち直って戴きたいものです。
話は変わりましてご送付くださいましたコピー拝読致しました。やはり先生の様に発心されて、高い魂の波動、高貴な人生目的を持たれた方は同じく志の高い方たちとの出会いがあるものなのですね。人生の法則とでも言いましょうか。
ひるがえってこの私などは逮捕直前のシャブ中の頃は似たものどうし、類は友を呼ぶとはよく言ったもので見渡せば周りは金運に見放されたクズばかりと。。。。いや、やめときます、あの頃の事はもう思い出したくありません(笑) ( ̄∀ ̄;;)
新しい寮も完成されたようでおめでとうございます。一年365日6時起床、朝食、ミーティング、清掃の変わらぬ日課に加えて修練道場まで備わっておられる訳ですね。自らも四段である少林寺拳法の教えと、禅の開祖たる 達磨大師 の教えのもと、正しき志、心の実践を標榜されておられる先生ならではです。
軽い気持ちでタダ飯に在りついて利用してやろうなどという甘い考えにはきついでしょうね、ケツを割る者も多いのではないでしょうか(笑)
言い方を変えればその程度の覚悟と意志の強さすら持たない者に真の更生は難しいという事でしょう。私の様に常に戒めがないと糸の切れた風船のようにあらぬところに飛んで行ってしまう者は特にです。
少し私の近況をお話ししますと、現在昼夜独居の身であることは初めに申し上げたとおりです。そもそもの発端は、下獄して最初の工場(ミシン)の雑居で同房になった山口組系の若手組長ともめて人間関係にうんざりしたというのが理由です。
確かに刑務所では堅気よりやくざ者の方が偉いという不文律があり特殊な世界とはいえ、社会でも同様の人間関係は避けて通れません。ここでうまくやれないのにこんなにメンタルの弱い事では出所しても先が思いやられます。学生時代劣等生だった私は結局この刑務所という「学校」でも劣等生でした。
これは昼夜独居生活による拘禁症状なのか最近ウツの傾向が顕署になって参りまして、先日ある雑誌のウツ病自己診断テストという物を試してみました所、
「自殺レベルで、もはや手遅れ」という結果でした(笑)
私はいつまでもこんなところにくすぶっていないで○○さん達のいる工場にでも出れればよいのですが、、、やはり人間という物は自分の能力以上を求められる環境でなければ個人の成長は難しいものですね。○○さん以下支局の高い志を持つ有志の中に身を置いて引っ張り上げてもらいたいです、情けない話ですが。。。
今度区長面接でこの件相談してみたいと思います。が、しかし一度の昼夜の気楽さを知ってしまうと駄目ですね、このメリットも何とも捨てがたく、、、とまあこのように堂々巡りでまったく煮え切らないのですが今はせめてこれ以上劣等生にならないよう、ましてや留年(増刑)にだけはならないよう最低限獄則だけは守っていきたいと思っています。
私事ですが今月5日をもって54歳となりました。この年になると生き様がそのまま顔に現れると申します。改めて鏡でしみじみ眺めてみますと、先生の面魂に比してこのいかにも倫理観の低そうな顔、まったく遺憾ともしがたいですが、残刑六年のうちに精神を練磨し内面はもとより面構えも変わった私でそちらをお尋ねできればと願っております。
しかしながらこの歳で元が元ですからあとどれだけ伸びしろがあるか分かりません私ですが、どうぞ今後とも宜しくお見知りおき願います。
最後となりますが昨日頂戴しました後便のお便り再読三読と致しました。元門下生のこの方の更生にかける渾身の決意表現、確かに感じられ、こちらまで鼓舞されました。私にはとてもこの方のような高尚な文章を綴る事ができませんのがお恥ずかしい限りです。此度の駄文もどうか読み捨て置いて下さいませ。
それではこれからも堀の中より先生のご清祥をお祈りしつつ筆を置かせてもらいます。
合掌
西山先生
五月八日 熊本支局会員 西尋坊より
この便りは、今、熊本震災の被災地にある、熊本刑務所内、熊本支局会員よりの悔悟並び、贖罪の清らかな偽りのない自分を、私への便りにした。
人は例え重罪を犯しても、罪を償えば終わりとすると思う。では、ない。
私は、社会に出所してからも、人間として罪を償わなければならないと思う。
犯した罪の重さ、人の命の、尊さ。刑期を務めれば、終わる物では、ない
人間は生まれながらにして、四苦八苦という大きな罪を背負って、生まれて来た。
釈尊は、八正道という人間だけにしか与えてくれていない 智(理性) という物を神が与えた。
この八正道を人間としての生きて行く道標にしなさいと、何千年も昔、大昔、気の遠くなるような悠久の時を超えてまで、今、私達に生きる、活きる、術を教えてくれている。
あ~人間って愚かだな。でない、生き物でしょ、頑張って一人で人生を歩けないならば、人という字は、もう一人の人間が支え合って人なんですよ。ね。そうです。
全て、宇宙の法則は、陰と陽、男と女、裏と表、表裏一体なんです。
努力、自己の、心身の練磨、終わりなき、生涯学習でなければならない。
君に、指導できる様な偉い男ではないが、更生に駆け足、しながら、走っている私です。
道縁がここに、熊本の地より、また、生まれた。
合掌
愚子
それは境は心に従って変ず
心の垢るるときは即ち濁る (性霊集より)
環境運命は心に従って変わる。心が垢れれば環境、運命も濁る。
弘法大師 生誕地 善通寺
発心
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