残暑御見舞申し上げます。
合掌 熊本支局 9月便り
先般は年金の手続きと送金を有り難く受領いたしました。有難う御座いました。
先生の御活躍が名古屋地区のCBCで放送されるとの由、日本青少年更生社の存在が益々全国津ヶ浦々に広がっていきますね。
八月のお盆にある民族派の有名な代表から手紙を頂きました。それに依りますと民族派のレコンキスタ紙面に日本青少年更生社の事を掲載する予定だと記されていました。
歎異抄後序に
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずの事みな以てそろごとたわごとまことあることなきにただ念仏のみぞ誠にておわしますと、あります。
私どもは煩悩の中でしか生かされていません。
煩悩とは身を煩わし悩ます事です。三毒の煩悩とは貪欲、瞋憙、愚痴であります。
私の問題は愚かさに在ります。自分の愚かさにはなかなか気が付きません。自分中心の想いや、自分の物差しでしか考えることが出来ないでいるのです。
連日の猛暑に何故、この様に暑い中で作業しなければならないのか、なぜ、狭い独居に閉じこもり暑さに耐えなければならないのか、と自己中心にしか物事を考えることが出来ない愚かな私です。
十年程前の事です。私は“釈迦に説法”の著者に手紙を書いた経緯があります。
私が日本武士道を尊重すると書いていましたのでその反論で“貴方が傾倒されている武士道には違和感を覚えます”と書かれていました。
新渡戸稲造の武士道について今更、述べるまでもなく、その訓育について私はよく知っています。
武士道の根源は儒教の祖、孔子のおしえであります。
剣術、弓術、柔術、乗馬、槍術、書、道徳、文学、歴史、を学びあらゆる困苦、逆境に耐え、高潔な心を持って立ち向かう事が、武士道の教えであります。
然れども著者曰くが武器を持って戦争する“正義のぶつかり合い”は救いようがない愚かさだと説いているのです。つまり、西洋の侵略戦争と日本の武士道の戦いを同一視しているのです。
又、親鸞の“義なき義とす”を例えて、自分や自国を正義としたときに過ちが始まるというのです。この様な主張に私は呆れてしまいました。
私は日本航空学園 梅沢理事長先生に、思いの文を書いてみたいと思いますが、先生はどう思われますでしょうか。
町ちゃん頑張っているとの事、嬉しい限りです。
私は来る九月十一日で古希に成ります。
益々、西山先生の教えを請うて一日一日を大切に、前向きで頑張りたいと思い居ります。
再拝
八月処暑
西山理事長先生
合掌
人生まれて、世にある時、人道を尽くすと尊ぶ。
釈尊は、比丘たちに、人間として、生きる術を、説いた。
日本の、武士道は、西洋の騎士道と、何処か、似ている様で似ていない。
日本人は、儒教、仏教、が入り交じり、日本教が生まれ た。
戦に、旅立つ 武士(もののふ) に、武士道と言う、死の道へ進む、お経である。
そして、武士道と言う名に於いて、多くの若き武者達の命が散って行った。
いつの世も、戦世の、侵略を愚かなる人間たちは、支配者として、この戦争と言う行為を、正義とした。
仁友よ、囹圄の中の、苦しみを、耐え忍び、達磨大師の如く、手も足も無く、想いを、無境の感である。
JAA人間力育成協会、梅沢理事長先生に、想いの文を、書きなされ、何か、将来に、明るい希望が、湧いて来ると、私は、思い進めます。
少し早いですが、お誕生日おめでとう御座います。
古希、そして、人としての、人生の節目の年が来る。
希望を捨てずに、如何なるところに在ろうとも、命ある限り、尽くされし。
愚生 西山 俊一郎
八月二十九日