合掌
肌を刺すような厳しい日差しが、急に衰え、まあなんと、この季節の変わりが、日本の四季の現れでございます。
仁友の、熊本支局の活動は、私は工場内での、休憩の時、色々と更生について、同囚と話をしていると、思っておりました。
施設の行事で、読経会に参加する人々に、呼びかけているという事で、そうなんですね。「意義ありますよね(^_^)」
施設の中の行事に、参加する人間は、やはり、前向きな姿勢を持っているものです。
収容生活をしている、更生の道標は、こういう姿勢こそが、更生の道に、繋がる事であります。
単調な生活の営みに、流される事なく、やることが、生涯学習にも、繋がります。
彼岸法要の読経会と、焼香に参加されたらしく、それは被害者に対する、冥福を祈る事にもなりますね。「合掌、南無ダーマ」
梅沢理事長には、御礼の手紙を、私から差し上げております。
梅沢理事長も、何か、私の様な者にでも、温かい心を持っていて下さることが、私自身の励みにもなります。
梅沢理事長の祖父も、昭和天皇の皇臣で道徳教育の、教科書の様な、お人で、現理事長は息子であります。「わかりますよね、遺伝子が。」
私達も規範として、理論と行動を体現しうることが、今の私達の生活です。
神遊、即ち、宇宙大自然と一体となり、更生の真理を追究し、自我を越え、人生の生きがいをもたらす、修行法です。
生きがいこそ、宗教上の(空)や、(無)や、(実相)や、(存在)、全て人間の人生の、真理を意味しております。
阿吽、歳が増す、重なる事に、精神の弛緩に、惰性に、生きる目的や、意味を間違える事と、己を見失うもので御座います。
私達は、愚かなる凡人であり、日々日々、修行しなければ、成りません。「まあ、苦しいと思えば苦しい。でも、この苦しい修行の後に、太陽が見えるだろう。」
道人 静座す禅榻の上 無限の山川 往きて且還る註訳
道人は、禅榻の上に静かに座ったままで、無限の山川を往来している。 喝破
仁友、と不思議なる道縁に出合い、一便り、一便り、多くの啓蒙の書を紐解き、勉強させられる想いです。
でも、楽しく仁友への便りなり。
健やかに、お暮しなされし。
御機嫌よう。
仁友 殿
愚僧 西山 俊一郎
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